まなぶアシBLOG

のんびりやりたいと思います。

寝たい時に罪悪感なく寝れることって結構大切、かな。

こんにちは、アシです。

最近は5ヶ月前ほどまでは考えられないくらいゆとりのある時間を過ごしています。

 

なんだかんだで転職活動も終了し、退職手続きも順調に進んでいてあとは引き継ぎを抜かりなくすれば晴れて転職活動が完了します。

 

アシとしては転職活動がひとつの区切りだったのでひと段落ついてホッとして、最近は緩んでいる状況であることは否定出来ません・・・汗

 

 

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休みの日はもっぱらこんな感じ。

夜も昼もとりあえず眠気がすごい。

取り憑かれたように寝てしまう( ´ ▽ ` )

 

本当はたくさん本を読んだり、資格やパソコンの勉強をしたり、自分にとってプラスになることをしたい!という気持ちはあります。習慣化しようとさせたことも何回もあります!!!(必死

 

でも襲いかかる睡魔!繰り返す挫折の日々。

・・・に自分はダメなやつだ、自己コントロールも出来ないやつなんだ。と悲しくなっては自信を無くしていました。

 

もちろん、限りある時間なので大切に使うべきだしそうできるに越したことはないでしょう。今でも理想はもちろんそうです。

 

ただ、昔からの習慣を矯正して新しい生活習慣を作り上げさらに継続させるのはそう容易いことではないなあとしみじみ思います。

 

アシは怠け者と言われてしまえばそこまでですが、そういえば昔から隙があれば基本寝ていました。。。おかげでとても健やかに育ちました(笑)心も体も・・・

 

家族で車でどこかに行くときは30分程度でも寝ますし、夏休みなど自由に寝ていい時間があれば基本昼過ぎに叩き起こされるまでトイレにもいかずご飯も食べずにずーーーーっと寝てられるような子供でした。

 

高校生になり、短期的にテスト前の勉強を睡眠を削りながらやっていた時期もありました。

大学生になると課題が増え、睡眠時間を削らなければいけない生活習慣へと自然と移行していきました。

 

幸い、勉強していた内容が自分にとって世界観・価値観を大きく変えるような出来事だったのでこの変化はとても嬉しいことでした。

 

それからは、有限の時間を無駄にしないこと=充実した人生の必須条件と信じ込み、寝てしまったことに毎度毎度後悔していました。

 

もちろん見る人から見れば勿体無いことをしていると思われるだろうし、無駄な時間を過ごしていると自分でもなんども思いました。

 

たくさんもっと色んなことを勉強したい!

知らない新しい価値観に触れたい!

もっと色んなことができるようになりたい!!!

 

・・・じゃあ寝てる場合じゃない、色んなことを活動的に実施しなければーーーー!と意気込みとしてはこんな感じでした。

 

そして爆発的な興奮は一時的には効果があるものの、所詮人間。浮き沈みが出て来て、やる気が出る時、出ない時がありました。。。

 

そうなると、自分の時間の使い方・考え方・諸々すべてがすごくダメだと思うことが増えました。

だって理想の自分と実際の自分がかけ離れているんです。

 

理想の自分でいれない時はすごく嫌悪感がある。なんで上手くできないんだろう、頭ではわかっているのにと感覚的には生き地獄です。

 

でもそこで思ったのが、自分の人生にとってプラスになると思ったことを見つけた途端「元々の自分」を否定しながら生きて来たことに気づいたんです。

 

今のままではダメ。なりたい自分になれない。自分が尊敬するような人は休日にぐーたら寝て過ごしてはいない。だから自分はもっと頑張らなければいけない、満足に足る努力をし続けなければならない。と無意識的に考えていました。

 

だから、何も頑張ったと言えることがない休日は無性に罪悪感を感じていました。

何も考えずに純粋にその時を楽しむ代わりに何かをしないといけない、そう思って来ました。

 

そうやって生きて行くのはしんどい、けれど割と多くの人がそんな状況と折り合いをつけながら納得させて生きているのかな?とも。

 

自分の一部を殺している人はどこかぽっかり穴が空いたみたいな感覚を慢性的に感じているんじゃないかな、と思います。

 

ずっとそんな感じなので、「人生こんなもん」とそういうものにしてしまうのかもしれません。

 

これはアシの感覚の話ですが、どこか自分の一部を否定しながら生きている人、エネルギーを出し続けている人はなんかすごく燃費の悪いエンジンで長期間走っているような・・・そんな風に感じました。

 

ダラダラするための言い訳づくりといえばそうかもしれませんが、アシは今までの人生を振り返った時に自分は本当によく寝ていた子だなあと思います。本当に。

 

こうなりたい!と目標を掲げることはとても大事ですが、自分はまずどういう風に育って、どんな感情をどんな時に持つのか振り返って自分自身を知ることってとても大切なことだな〜と感じたので今回書きました)^o^(

 

自分のことを好きでいられる自分に少しでも近づきたいなと最近思うアシでした。

 

では〜(雑な締めについては多めにお願いします☆)

 

 

 

 

最近の考えさせられる出来事

こんにちは、アシです。

世間はコロナコロナコロナ・・・の話題で連日持ちきりですね

 

5月いっぱいに緊急事態宣言も延長されてこのままズルズル生活のあり方が変わって行くんでしょう・・・

 

働き方についてもっと動物として適切な(日中活動して夜は休む)働き方が工夫されて定着して行くといいなあ〜と切実に思っています。

 

今年のゴールデンウィークはコロナの影響で自粛生活を送っていてそれも今日で最終日。

自粛生活自体にそこまで苦痛はなかったのですが、家で過ごす時間が増えたからこそより一層自発的に何かしたいなと感じることが多かったです。

 

アシは今20代前半ですが、「特にこれといったことがない時間」をいかに満足度高く過ごすかと言うのは本当に難しいな〜と感じています。

 

学生であれば学校で勉強や部活動、また友人と時間を過ごす・社会人であれば仕事・専業主婦(主夫)であれば家事や子育てなど毎日を生きていてやるべきこと、いわゆるその日達成するべきToDoがある人がほとんどだと思います。

 

これは大小関係なく、その日にこなすべきことがあると言うのは1日の終わりに達成感を与えてくれる役割があると思います。

 

1日15時間活動するとして学校や仕事があればそのうち6時間、8時間ぐらいは決められているやるべきことをしていればいいんです。

 

でも、1日15時間あって特に決められたことがないと全部自分で時間の使い方をデザインしないといけないんです。

ご飯を食べる時間、趣味の時間、タスクの時間、運動の時間・・・といった具合にです。

 

この時間を心から楽しめる人は自由を謳歌できる、自己コントロールができる人だとアシは思います。

 

アシは普段とは違う時間の使い方にすごく戸惑いました。普段時間をかけれないことに取り組んだり、新しいことをしてみたり・・・とにかくやっては見るんですが、1日の終わりにやるべきことをしたし、今日は終わり!と達成感を感じて終える日が少なくなっていることに気づきました。

 

自由な時間というのは可能性を広げる時間ではありますが、その時間を上手に使える人がいったい何人いるんでしょうか。

 

全く縛りのない日々を、毎日今日も頑張ったぞと思いながら布団に入ることができる人がどれぐらいいるのでしょうか。

 

そもそも、その感情を感じなければいけないというのがそもそもお門違いなのかもしれません。

 

今後、働き方や生き方がどんどん変化して行く中、自由にできる機会は格段に増えて行くと思います。

 

でも、そんな時に

 

人に監視されてないとやる気が出ない。

自分で目標を立ててもやり切らずに終わってしまう。

結局怠けてしまう。

 

という状態だとせっかくの機会が本当に勿体無いことになってしまいます。

 

でも、そもそもやるべきことがある状態が普通だったのに、いきなり両手いっぱいに自由な時間を渡されてすぐに順応できる方がレアケースなのでは?と最近は思うようになりました。

 

だから上手くできないことを嘆くよりも、できないことが当たり前で、今は価値観を変えるチャンスが目の前にある状態であることに喜ぶべきなんじゃないかなと考え方を変えて行くことに集中することにしました。

 

人がいないとできない・会社じゃないとできない・・・できない理由を並べる人ではなく、今自分はどれぐらい環境に順応しているのか冷静に観察できる人にまずはなりたいな〜と思った休暇でした。

 

アシの会社はGW明けは在宅ができなくなってしまうので、この1ヶ月間で感じたこと・考えたことを忘れずに行きたいと思います。

 

では!

死生観の違い。

 

こんにちは、アシです。

昨日は朝起きたら水分たっぷりの雪が降っていて、夕方になってかなり溶けてきましたが、まだ少し残っています。

今までずっと関西に住んでいて、東京の雪事情はあんまりわかりませんが3月ももう終わるよって時に結構冷え込んだなあと思います。

 

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↑見えにくくてすみませんwww

 

これも気候が変わってきているのかな〜と思ったり思わなかったり。

というか、桜もせっかく咲いたのに結構散ったんじゃないかな・・・泣

お花見したかったなあ・・・(来週末も自粛のようです)

 

今週末は外出自粛令が出ているので家の中で過ごした人が多いと思いますが、「出るのを控えてね」と言われた途端家から出たくてウズウズしてしまうのはアシだけですかね!?

 

普段は家の中でゴロゴロしてたいとか、読書しようとか思うんですが「出れない」状況になった途端「家の外に出た時のいいこと」ばかり頭に浮かんできて本当に人間は無い物ねだりだなと思います(^∇^)アシだけ??

 

時間があると色々考えてしまうものですが、家での時間の過ごし方?として、最近はポッドキャストにハマっています。

Mook study日本の歴史」という題名で、なんやかんやで3年目に突入しているようです。

たくさんリスナーもいて人気の歴史番組なのでぜひ聞いてみてください!!

 

ゆるさ的にも幅広くしている感じも全部聞いていて心地よいです、本当に。

歴史が好きな人はもちろんですが、苦手意識があるひとも入り口としてかなり優しい内容じゃないかなと思います。

 

ただ、歴史の知識に詳しくない場合違うことと同時進行したり、集中して聞かないと内容がぼんやりとしか残らないことがよくありました(^_^;)

 

アシは大学生の時に一度ハマって電車の中などで毎日聞いていたら最新エピソードまで追いついたのでしばらく忘れ去っていたのですが、最近またふと聴き始めたらしっかりハマりました笑

 

最近は通勤中・料理などの家事中・何もしたくないけど本当に何もしないのは嫌な時(笑)に聞いています。

 

このポットキャストのなかでは日本の歴史の一ページを切り取って話していますが、よく出てくるのが「死生観の違いについて」です。

 

現代人は切腹なんてしませんし、自決する人はほとんどいません。(アシの知る限り)

現代でも自分の命を奪う行為として「自殺」がありますが、それと戦国時代や幕末などの「自決」とは意味合いが異なってきます。

 

死ぬという事実は今も昔も変わらないはずなのに、捉え方が時代によって大きく変わるのは興味深いなあと感じています。

 

人権も権利も平等でない時代、無いからこそいつ命が絶えてもおかしくない時代。

ないからこそ、自分の人生を精一杯生きて爪痕を残そうともがくのかなと。

 

このような感動するノンフィクションを観たあとは、「自分はなんて恵まれているんだろう。ちゃんと環境に感謝しながら生きないと。」と思うことがあります。

 

普段、命の危険に怯えることもないし、今までの人生の中で寝る場所に困ったこともないです。

でも同時に、これだけはやり遂げたい!と死ぬことよりも大事な大義を抱けたこともないんです。

 

今は技術や医療の進歩のおかげで、ゆりかごの中に入ったまま冒険も挑戦もできて、気軽に意見も発信できて・・・

どこか冷めているというか、いつの間にか「命をかける」ことは暑苦しいことになりました。

 

でも、人間である限り・生き物である限り必ず死はやってきます。

死を克服しても人類に幸せは待っていないとも思います。(死ぬからこそ生きることに意味ができるという理論です。)

いつの間にか死ぬことが何よりも怖いことになっていました。

 

今の世界のあり方がおかしいと言いたいわけではないです、もっと世界はみんなに優しくなれると信じてもいます。

でも、昔の人は一分一秒をもっと大事に生きていたのかなと思うと自分の時間の使い方にいかに無駄が多いか考えさせられます。

 

スティーブ・ジョブズの「毎日を人生の最後の日と思って生きる」という人生哲学は人間の可能性を最大限まで引き延ばすことが出来ると感じます。

でも、何人がそうやって本当に生きていくことが出来るのでしょうか。

どうやったらその考え方が板につくのでしょうか・・・

 

決意を固めても、簡単な方へとなびいてしまうのが人間の弱さだと思います。

では、どうすればいいのか?

 

なびいてしまう回数よりも、決意を固めた日を思い出す回数を増やす。

命の危機はないけれど、このまま行った自分の死に際の姿を何度も思い浮かべる。

 

今だけを見てしまうとそりゃ楽しい方がいいし、楽であればあるほど居心地がいい。

 

けれども、何かを変えたいと思った日を思い出して、今のままこの先を生き、死を迎える間際の自分の姿を想像してみる。

何だかゾッとしませんか?

 

アシはこのまま労働者として大半の時間を今の会社に費やすのはなんて味気ない人生なんだろう。と思います。

 

人生はもちろんそれぞれですが、「あー疲れた。ちょっと休もう」と言いながら死ねたらなんて幸せなんだろうと思います。

 

そのためには、やりきりたいことを見つけてそこにひたむきに向かっていく。

あなたはやりたいことはありますか?

やりたいことをやれてますか?

やりたいことをやるための環境を整えていますか?

 

せっかく長く生きれる時代に生まれたのに、頭も使わずに動物的本能にしたがって生きていくだけなんて味気ないですよね。

 

今日明日を生き抜いて己の正義のために命をかけた侍のように!というのは難しいかもしれないですが、人生の考え方・命の捉え方としては痺れるものがたくさんあると思います。

 

ポッドキャスト おすすめです(笑)

 

アシも泥臭くても思いっきり打ち込めることを探したいなと思います。

それについてもまたブログで書きたいと思います。

では!

 

コロナ怖いけど人々の集団恐怖心もまあまあ怖い

 

こんにちは、アシです。

東京では桜が満開になったそうです🌸

 

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これは飯田橋の乗り換え時にちらっと見えたのでパシャりと写真をとりました。(見返すとそんなにいいショットではなかった笑)

 

 

桜が咲くだけで街全体がいつもより明るくなるというか、雰囲気がいいですね。

とは言っても今年の春は新型コロナウイルスの影響で気分は落ち込んでいる雰囲気ですが・・・

 

 

今日は、コロナ自体も怖いけれどメディアに煽られた人々の反応(それが集団としての反応)もまあまあ怖いなあと思った話を少しできればと思います。

 

 

一連の騒動が始まったのは2019年12月ごろ、中国の武漢市が始まりでしたが今となっては世界中を巻き込んで一大事となっています。

 

 

諸外国では街への外出や営業を法的に規制したり、落ち込んだ経済状況に対してどのように対策するべきか早急に検討されているような状況です。

 

 

そう、このコロナウイルスはかなりの一大事なんだという世界的な共通認識がすでに浸透しているということ。

 

WHOなどの国際機関や各国の厚生労働省などの機関からもパンデミック(=世界的大流行している感染症)として発表していますね。

 

 

もう電車に乗っても、レストランに行っても隣で会話している内容がコロナについてであることに違和感を感じなくなってきたレベルです。

 

この間は、女子高生が「電車でマスクしていない人は大丈夫なのかな?」とマスクしていない人の方を心配していました。。。(どちらかというとマスクは他に気遣っての使用だとお思います…)

 

そんな状況で、日本はまだ外出規制などの強制的処置は取られていませんが、日常生活していてスーパーや薬局に行くといまだにトイレットペーパーや生理用品などが一部売り切れ状態なのを見ると、メディアの力って凄まじいな・・・と思わされます。

 

みんな家庭があって、日常的に必要なものがあるのはわかります。

特にお子さんや年配の方がいる家庭だと一層ストックが切れるのが怖いと思います。

手に入らなくなるのが怖いという心理が働くのもわかります。

なので、すぐ必要ではないけれど買いためておこうとなるのはごく自然な流れであると理解しています。

 

アシも最近こまめに薬局があると立ち寄り、残っていないかなと確認するのですがお昼頃にはすべて無くなっています。

 

実際、開店前に並んで入荷されてきた少しのマスクや日用品を手に入れようとする人たちを見かけるのでお昼頃に行ってないのもまあ当たり前というか、なんというか・・・笑

 

テレビやネットニュースでみて「やばい!」と思って薬局に走るわけですが、そこで得た情報を元に各コミュニティの間でやばいねという話をすると思うんです。

今だと集まったら一度はコロナの話になると思います、天気いいですねと同じぐらいの頻度で。

 

そうなると、テレビやニュースで見たよりも身近に感じるし、やばいんじゃ?という危機感も増大し、結局「他の人より早く仕入れとこう」という心理や行動がいろんなところで発生して、デマであるにも関わらずトイレットペーパー在庫切れが続くなんて自体が発生しているのかななんて思います。

 

ということは危機感を膨らませるのもメディアを通した各コミュニティなのであれば、正確な情報を正確なタイミングで伝達するのも一定数はこういったコミュニティを通じてなのかなあと思わざるを得ないです。

 

どうしても、こういう状況で人を通じて話や状況を整理するときは常に少し過剰に塗り替えられて伝わってしまうものだと思うので、それが積み重なった集団的な恐怖心って実質的な影響に結びつくのでいつの時代も怖いなあと。

 

技術が発展しても、人間自体は発展しているのかどうかは「?」ですし、そういう観点からすると「歴史は繰り返す」なと。

 

人から話を聞く前でも後でもいいので、一度自分が信頼できる情報を自分で見つけて収集する癖をつけていきたいものですね。

 

アシも情報社会の弱者にならないよう、今日も今日とてトイレットペーパー売っているところがないか気にしながら過ごしたいと思います。

(シンプルにもうすぐ無くなりそうなんです・・・)

 

でも、これを読まれている方もそうでない方もこんなご時世ですが、体には気をつけていきましょうね。

 

では!

転職したくなったきっかけについて

 

こんにちは。

最近はいい天気が続いてるので外で過ごすのも気持ちがいいですね。

 

冬ももう終わるんだなあ、としみじみ・・・

そういえば入社してからもう一年経つんだなあ、としみじみ・・・

ていうか、後輩が入ってくるのか、と気持ちがわたわた・・・という状況です。

 

次は自分が教育係になる順番というのは分かってはいるし、在籍している間はできることは教えてあげたいと思うけれど、退職を6月ごろに考えている身としてはなんとも微妙な心境です・・・

 

今になってわかるんですが、入社したばかりの頃は「どうしてうちに入社を決めたの?」という質問をうんざりするほど聞かれたんですが、みんなアシや新しい人がこの会社に入りたいと思った理由を知りたいんでしょうね。

 

多かれ少なかれみんな不満なり変えたいことなどを抱えているので外からはどう見えているのか・あるいは会社が世間に対してどう見せているのかが気になるんだろうなと。

 

仕事は楽しく、というのも1つですが、アシとしては仕事内容自体に意義があるかないかでやる気や充足感が異なってくるなあと思っています。

 

もちろん、ある程度の労働状況や人間関係、得られる報酬や評価のされ方も充足感に関わってくる部分ではあると思います。

 

ただ、根っこの部分として仕事、事業内容というのは何をしているか・何の為にしているのかというところです。

それ以外は枝の部分でしかないので付加価値といったところでしょうか。

 

つまりは、仕事内容に意義を感じられたり楽しいと思えることであれば少し休みが取れなくても、給与が少し低くてもなんてことないのです。

 

でも、仕事自体が面白くない、何の為にしているのかわからないとなってしまっては給与が高くても、休みがちゃんと取れても充足感というのは得られにくくなるのではないのでしょうか。

 

一時的に待遇がよくても人というのは良くも悪くも習慣の生き物で慣れてしまうので満足感・充足感が向上し続けることはありません。

 

でも、悲しいかな世界に企業、団体と呼ばれる組織は星の数ほどあって比較対象があまりにも多すぎるので人はどの会社が少しでもいい待遇で受け入れてくれるのかを必死で見ようとします。

 

アシも企業を見るときにどうしても待遇面に関しては気が向いてしまいます。

今の会社より待遇が悪くなってしまっては(殆ないかと思いますが・・・)せっかく新しい環境で働き始めても、この選択でよかったのか?前の環境の方が恵まれていたんじゃないか?と自問自答を繰り返してしまうんではないかと思ってしまうからです。

 

そこも確認事項としてはいいかもしれませんが、やっぱり根っこの部分はぶらさずに道を開いていきたいなと思います。(絶賛転職中なので…苦笑)

 

というか、今回のお題は転職したくなったきっかけについてなのに、つらつらと職探しの際の心構えについて書いてしまいました。

 

ライブで書いてる訳でもないのに見事に脱線(^∇^)

 

以前の明けましておめでとうございます。 - まなぶアシBLOGの記事でちらっと(?)がっつりと(?)現職に対するモヤモヤしていることを書きましたが、大まかにいえばそこから大きく違いはありません。

 

簡単にいうと、「今やっていることに対して歯を食いしばる価値があるのか?これは誰のためにやっているんだ?????」と仕事に対する意義の部分で迷子になりました。

 

アシの仕事内容や業務内容を簡単にいうと、設備メンテナンスをしませんか?という提案をマンションの組合さんにして、メンテナンスの発注をしてもらうことがゴールの仕事です。

 

普段見ないところだし、その業界の人や少し詳しい人出ない限り、基本的には「何それ?」状態なことが多いです。

 

そのため、

通常はどうなのか?

いつ頃メンテナンスをするべきものなのか?

それはどうしても必要で、妥当な価格なのか?

 

などなど、基本的にお客さんはさっぱりわかりません。

基本的な反応は「そう言われたらやったほうがいいんだろうね。」という感じです。

 

それが嫌という訳ではないんですが、基本的にお客さんは困ってない状態でお金がかかる提案をする訳です。

今後こういうことが起こる可能性があるので、今のうちにメンテナンスを実施しときませんか?という具合に。

 

悪いことではないと思います。すごく高い水準で物事を進めているなとも思います。

でも、何もなかったところに「早めにした方がいいですよ」と提案し、実施したところでお客さんは困っていた課題が解決された!という風にとらえてもらえる人はなかなかいないです。

 

そしてアシ自身も提案しているメンテナンスの中には、「必須じゃないけど、会社の方針だから提案する」という形で提案しているものがあります。

というか、アシの会社はその主力サービスが必要でもないような感じなんです(笑)

 

だからといって需要がない訳でもないですし、気にする人には喜んでもらえる内容だと思います。

 

細かくは書けないですが、アシ自信が商材を進める気になれない・どちらでもいいなあと思い出すと力が出ないですし、結果として省エネで毎日を過ごそうとしてしまうんです。

 

でも、もともとはベンチャーに入ってスピード感を持って成長したかったはずなんです。

限られた時間を最大限に活用して、若くて体力があるうちに精一杯やりたかったはずなんです。

 

どうしてこの会社に入ったかはズレてはいないですが、この会社に入って結果として得たかったものというのはこれ以上はもう得られないだろうと思ったのです。

 

そして、どこにいっても何かしらしんどいことがあるのであればもっと何にしんどいと思うのか、そのさきに何を達成したいのかにこだわりたい!と感じたことが転職活動を始めたきっかけです。

 

なので、今転職活動をしていて一番大切にしているのは「この仕事を通して何をやり遂げたいのか=営業として働く上で、売る意義があると実感できる商材・サービス=消費者となる人がどれぐらい利益を得られる商品・サービスを通じ問題解決をする」です。

 

まあ、まとまってはいないですが、書きたいことは書けたかなという感じです(笑)

 

現職の商材が悪い訳ではなく、アシが大事にしたいことと実情が違っただけなので今の仕事を通して今後の見通しが見えてきたのはとても自分にとってプラスの経験であるととらえています。

 

なんたって、解釈は無限だから★

 

では!

デジタル漬けで体が重く、目が痛いのでちょっと考えたらそりゃそうだねという話。

こんにちは、今晩から二泊三日で富士山旅行のアシです。

仕事終わりに夜行バスに乗って河口湖あたりにあるホステルで宿泊予定なんです。

 

まだまだ23歳なのに普段ゆったりとした休日しかほぼ過ごしてないので、めちゃめちゃ疲れるのが目に見えてますが控えめに言ってもとっても楽しみです。

 

それにしてもここ最近、ほんとに最近体がとてつもなく疲れる!

特に目頭というか目?が重くて、朝起きた時も鉛が背中に乗ってるんじゃ!?

と思うぐらい重いです。

 

ザ・現代人の悩みなのはわかっています・・・

理由も目星はついているんです・・・

 

スマホ・パソコンの使い過ぎ(多分、1日8時間超えてる)

 

中毒といってしまえばそれまでなんですが、ちょっと何に今現在スマホやPCを使っているか振り返ってみると・・・

 

 ①転職活動の企業チェック:スキマ時間併せて多分一日2時間ぐらい

 

これがほんとに一番占めています。

エージェントに登録して紹介してもらっている企業をチェックしているのですが、これがもう本当に時間食うし疲れるしエンドレス過ぎる。

どうにか時短しようと電車移動中にメインでしていますが、30分ぐらいの移動が本当に一瞬ですぎます。

チェックするポイントを絞って効率よく応募していく工夫が必要だと思うので試行錯誤してみます・・・

 

②仕事中のPC作業:多い日少ない日有りますが多分一日5時間程度

 

アシの仕事はそこまでPC率が高いわけではない?のですが、基本資料作成から連絡まで全部PCで行うので1日働いて使わない日はないですね。

使用時間だと平均5時間強ぐらいですかね?毎日週五回・・・

そりゃ頭もつかれますよね・・・

事務作業してくれている事務さんは勤務時間=PC作業なので肩こりすごいんじゃないのかなと思います。

 

MOS資格取得のための勉強時間:もっとやれと言われそうですが週に3時間程度(一日換算で30分ぐらい!?)

 

アシは本当にパソコンが苦手なんです、でもそれじゃこの世の中活きていけないと思ったのでMOSの資格取得に向けて勉強することにしました。

本もばっちり買って、MACbookしか持ってなかったので色んな情報をみて安いの買った方がいいっぽかったのでWindows 10を購入し勉強し始めました。

これは割合としては多くないですが、一時間ほどPCとにらめっこしての作業なので目の疲れが半端ではないです。(アシが慣れていないだけです、が・・・)

 

④英会話資料作成:1レッスン用20分ぐらい…徐々に時間収縮中

 

今姉に英会話レッスンをしているのですが、資料作成への時間ですね。

これもまあ負担としては多くないですが、慣れるまでは結構時間かかりました。

 

⑤ブログ執筆、WEB検索、メール確認、娯楽などなどなど・・・その他:色々諸々一日1時間程かな

 

小さいこと(ブログについてはそこまで時間とっていないだけw)ばかりですが重なると結構な使用時間になるのかなと。

 

楽しいこと=娯楽もスマホの中、勉強するにもスマホの中、仕事もPC、全部が全部PCやスマホのようなデジタル機器なのでそのうち一体化するんじゃないかなというレベル。

 

こうあらゆるものがデジタルになるとアナログの希少価値が映えるようになるんだろうとは思いますが、それにしても全てがデジタル。

 

デジタルの良いこととしては初期費用こそ掛かれど場所もコストもおさえられるということではないかと思います。

気軽にできて、お金もかからない、場所も取らない

だからスマホの中にみんな収納し始めるんだろうなあと。。。

 

どうすれば正しく健康に使えるのか というのはもはや先進国の共通課題ですね。

あとは子供にどこまで自由に持たせるのかという課題もしかり。

 

便利にはなれど不健康・不摂生になるのでは進化というのかただの変化というべきかわからないですね。

 

アシはそんなデジタルの波に追いつけ追い越せの気持ちではいますが、最近の自分のデジタル漬け状態の生活を振り返ると、節度という言葉が今のアシになによりも必要でした。

 

それでもやらないといけないこと、やりたいこと、やっといた方がいいことは変わらないので工夫して改良して改善していきたいなと思います。

 

これを読んでくれている(何人いるんだろうw)デジタル社会の住民のあなたもどれだけ普段デジタル漬けになっているか振り返ってみてください。

ゾっとします。たぶん。(笑)

 

ではまた!

心と体の矛盾の実感

 

こんにちは、アシです。

 

最近は新型コロナウイルスの影響でイベントが中止になったり、街中でも人々が神経質になっている印象がありますね。

 

朝の電車も、時差出勤や在宅勤務を推奨・導入している(せざるを得ない)会社が増えているのか、乗車率150%のような意味不明な状況では無くなっています。(それでもやっぱり東京!人は多いですが・・・)

 

アシの会社でも時差出勤が推奨されていますが、仕事柄在宅で統一はできないみたいです。

アシとしては是非とも在宅勤務になれば良いのになあと思っています・・・そうなれば出勤とかの無駄な時間が省けるので。

 

さて、実はさっき書いていた記事を間違えて消してしまうという愚行をしたばかりですが(号泣)、気を取り直してテーマについて書いていきたいと思います。

 

心と体って1つのようですが、1つじゃない!と思いませんか?

 

色んな研究でも心と体の繋がりだったり、互いの影響とか調べられていますが、アシは個人的な意見を偏見の塊(?)として書いていきますのでご了承ください。

 

心というと嬉しいとか悲しいとか感情を思い浮かべると思いますが、ここでいうのはどちらかというと思考に近いのかなと思います。

 

アシは毎日仕事終わりに、今日は帰ったら何しようかなといつも考えています。

帰ったらブログ書こうとかあの勉強をしようとかいつもワクワクしながら考えています。

でもいざ家に帰って机にカバンを置いて椅子に座った途端に疲れがどっと出てきて体が思うように動かないんです・・・

 

あんなにワクワクしながら帰ってきたのに、いざ帰ってきて自分がどれぐらい疲れているのか把握した途端考えていたこと(=思考)をやらず、無駄に時間を費やしてしまって行動(=体)が矛盾してしまうんです。

 

それが何週間・何ヶ月と続くとその矛盾に気付きながら毎日を過ごすわけなので結構なストレスの原因になってきます・・・

 

そんな状況に嘆いていても自分の惰性にまみれた状況は変わらないので、無理矢理にでもスケジュールを設定しました。

 

1日に何時間であれば確保できて、無理なく続けられるのかをまずは洗い出す。

そこに自分が達成したいこと、ゴールを設定してあとはそれに従うだけなのでやるやらないの判断は私がつけるのではないということ。

 

設定したものに対して忠実に自分のルールを突き通せばそれは次第に習慣になって、苦痛にもめんどくさくともならないのではと思います。

 

実はそれを始めたのは先週ほどなのでまだまだ習慣付いている段階ではありませんが・・・

 

今転職活動もしていて(これについてはまた別の記事で書きます)予定外に時間を割く必要がある場合などあるため予定通りに行かないことが何度かあります。

 

今すべきことは常に予定と現状のズレを正しく認識し、補正しながらゴールに向かっていくことなんだろうなと思います。

 

そのため、ズレがなくなるまでは特に大変だろうなと思いますが、今少なくとも自分の心にしたがって体を以前よりも動かせられているということが生活充実感を少しでも向上しているのが肌で感じられています。

 

ブログもそのうちの1つなので、その進捗もあわせて今後は記事を書いていきたいなと思います。

 

だれが見ているのかも、誰かが見ているのかもわからないような状況ですが(^∇^)笑

(私のPCスキルが低すぎるだけです・・・ww)

 

人間は習慣の生き物である以上、いい習慣をつけていくことはいい人生を送る大切なことなんだと思います。

 

真面目に語りましたが、矛盾を無くていけるよう頑張っちゃいます。

それではこの辺で!