みんなのココロの色眼鏡
こんにちは、アシです。
6月も下旬に差し掛かって梅雨ももう時期開けるのでしょうか・・・?
明日から栃木の方へ旅行にいく予定をしているので天気がよくなるといいな〜!と、てるてる坊主を作る、、、のは少々めんどくさいのでココロのてるてる坊主を吊るしておこうと思います笑
さて、最近よく本を読むようになって自分を・自分の環境を見つめ直す機会が増えたのですが、どの自己啓発系の本にも絶対書いているのが、
「あなたが見ているのはあなたの価値観を通した世界であり、人それぞれ捉え方は違うんだよ!」という内容です。
そんなこと当たり前や!すでに知ってるわ!!と何度も心の中でツッコミを入れました(笑)
人それぞれ生まれ育った環境も経験も、食べて来たものすらも違うんだからそりゃそれぞれ違う価値観持つのは自然な流れよね〜。
と、今まで社会学の授業で習って来たことを思い出すかのように考えていました。
けれど、頭で「知っている」ことと、自分の中で「理解できている」ことには大きく差があって自分の言動とか、行動を見返すと知っているだけで止まっていたなあとしみじみ感じています。
今までの人生で、価値観が大きく違う(というか国籍が違う)人たちと話す機会があったりして、話をする中で「この場合、普通はこうするでしょ」という言葉を使わないように気をつけて来ました。
だって、普通というのは「アシ」にとって普通なだけで、アシの話を聞いている人にとっては「普通」ではないことが往々にしてあるから。
人の価値観を押し付けられることがいかに不愉快であるかもしっかり体験済みなので(笑)知った以上は人に自分の価値観が普通という前提で話したくない!と思っています。
でも、思い返すと意識していても日常の会話の中で自分の価値観を基準にして人を判断しているし、「善し悪し」をつけていたなあと反省しています。
例えば、外食ばっかりだと体に悪いし、自炊しないなんて考えられない。と思ったことがあります。
アシは料理が得意なわけではないですが、外食しかしない人の思考回路がよくわかりませんでした。
外食はカロリー高いし、塩分糖分多いし、金額も高くつくし、美味しいかもしれないけどそれ以上に毎日続けることのマイナス面が極端に大きいのに・・・と思うと、外食しかしない人はアシの中で「なんか違う」になってしまうのです。
その人を拒否はしないとしても、自分の頭の中で【容認する、容認しない】の2パターンが出来上がってしまいます。
容認しない、というのは同意しないということだけでなく「自分とは違う」と突き放してシャッターを閉めてしまうような反応も含まれます。
拒否はしていないけれども、受け入れることもしない、結果として興味が無くなります。
価値観の違う人が違うことをする。それに対して自分にはどうしようもない。と決めつけて受け入れず、近寄らず、興味を持たず・・・
みんな違ってみんな良い♩と口で言うことは簡単ですが、同じも違いもまとめて 「受け止める」ことができれば、相手のことを本当の意味で「理解する」ことができるんだよ、と最近読んだ本が言っていました。そして、理解することができれば、その人と「信頼が築くことができる」ようになる。
信頼が築くことは、家族でも友人でも仕事でも人と関わる以上は何よりも一番大事な要素だと思います。
その、本当の意味で信頼を築くということを、アシは今まで誰とできただろう・・・?と思い返すと、とても賞賛できるような心持ちではなかったです。笑
結局、自分の目から見える景色だけで判断していては人と信頼関係なんて築けないということです。
自分にピッタリあったメガネをかけていれば見える景色は少しのくすみもない完璧なものに見えるでしょうが、他の人のメガネを借りてそれをかけた時「これじゃないよ」と自分のメガネから見える景色以外は否定してしまうのです。
自分の周りに同じよう
な価値観を持っている人が多ければ多いほど、自分のメガネが一番正しい!と思い込んでしまいます。
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海外に行くのが良いよ。
新しい人に会うことは良いよ。
人脈を広げておいたほうが良いよ。
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こういう言葉を耳にしたことはないでしょうか?
これって全部、「自分のメガネ以外のメガネ」をかける練習をさせてくれるような経験だな〜と思いました。
アシも仕事を始めてからは、自分のメガネが結局一番正しいよね。という考え方に寄っていた実感があるので、これからはいろんな人にメガネを貸してもらおう・・・と思います。
人間は見たいものを見る。
これは人間の習性本能らしいですが、アシはちょいと欲張りなのでみんなが見たいものも見れるようになりたいです\(^o^)/
では今日はこの辺で!